【連載コラム】第8回/「8」という数字あれこれ

連載コラム第8回 「8」という数字あれこれ

第8回目のコラムということで、「テクノロジーの進展の各業界への影響」というテーマから少し目を逸らし、「8」という数字そのものについてあれこれ思い巡らせてみよう。

僕は、この3月10日で64歳になった。フッと思いついたのは「64は8の2乗である」ということ。何を当たり前のこと言ってるの?…とは言わないでほしい。続きがある。連想したのは、こんなことだ。

ある数字を2乗して、出てきた答えのそれぞれの桁の数字を掛け合わせ、そのまた答えの桁の数字同士を掛け合わせていくと、最後にはどんな一桁の数字が残るのだろうか。

「8」を例にとると、まずは2乗して「64」。出てきた答えの数字「6」と「4」を掛け合わせると「24」。これをまた「2」と「4」に分けて掛け合わせると「8」になる。なぜか、元に戻った。

試しに1から100までの数字について、このような計算をエクセルの力を借りてやってみたが、最後の答えが最初の数字に戻ったのは8だけだった。実に不思議だ。何かを発見したような気持ちにさえなった。

しかし、こんなことに感動して「不思議だ…」なんて言っている64歳シニア(一昔前までは「爺さん」と呼ばれていたが…)を、皆さんはどう思うだろうか。こんな何の役にも立たないバカバカしい計算をして…と冷たい視線を送らないでほしい。

僕は数学者ではないし、単なる「数字」好きなだけなので、大きなことを言うのも憚られるが、どこでどんな計算方法・過程や結果が実生活に役立つのか誰にもわからないのだ。

アラン・チューリングやフォン・ノイマンなどの数多くの天才的数学者が、今までに数字・数学・論理・情報・記号・暗号の研究をしてきたからこそ、電子計算機と言われるコンピュータが誕生し、発展し、現代の科学技術の基礎が築けたのだから。

実は、「8」は十進法の表記数字である。1から順に進んで9から10に進むときに、桁が一つ上がって二桁目に「1」と一ケタ目の「0」が並ぶ方式だ。そう、あの普段使っている十進法である。

ここでまた話が少し飛躍するが、生まれた時から十進法に慣れていたのに、中学校1年生の時に「二進法」という考え方があることを知った。0と1はそのままだが、2は2の1乗なので1桁上がる、という。とにかく2がキーになる。そんな変な数え方があるなんてまったく知らなかったので、驚天動地の思いだった。

二進法については、怒るとものすごく怖いカミナリを落とす塾の先生から聞いた。この塾は田舎町の自宅から歩いて3分の距離にあり、学習塾というよりも世の中の動きや将来のことなど幅広い知識や道徳などを教えてくれた先生一人だけの私塾だった。

二進法は大雑把にいうと「0」と「1」の2つの数字だけで数字を表す方法である。十進法の0と1はそのまま二進法でも同じだが、2は「10」と表記する。3は「11」だし、4は2の2乗なので「100」となって桁が上がる。こんな話を聞いても、最初はチンプンカンプンだった。

まず、0は0のまま。1は、2の0乗なので1桁目に「1」と書く。この二つは十進法と同じだ。2は、2の1乗なので2桁目に1で、1桁目には0と書いて「10」となる。3は、2桁目の2の1乗である「1」と1桁目の「1」の和なので「11」となり、4は2の2乗なのでもう1つ位が上がって「100」となる。5は「101」だし、6は「110」で、7は「111」である。8は2の3乗なので、4桁目に繰り上がって「1000」となる。とにかく二進法の数字は0と1しか出てこないのに、どんな数字でも表せる。この時に、同時に聞いた話が忘れられない。

「電気が流れているのがON、切れているのがOFF。電気が流れている時と切れている時のことを記憶できる物質があって、それを組み込んだ機械をいま大学院で実験しながら作ろうとしている。ONとOFFの2つを「1」と「0」に見立てて、二進法ですべての数字や文字を表せるので、複雑で時間がかかる計算も、その機械で全部できるようになるんだ。」確かこんなようなことだったと思う。

その時、ENIAC(エニアック)という黎明期の電子計算機の話を初めて聞いたような気がする。体育館みたいな大きな研究室に、真空管だらけの機械が並んでいて、スイッチを入れるとものすごく温度が上がり、近づけないから宇宙服のような防護服を着て作業する、と先生は言っていた。なぜか鉄腕アトムの世界が想像できて、わくわくして聞いたことを覚えている。

今から考えればENIACは十進法で作られているので、話を聞いた当時の電子計算機(コンピュータ)は、すでに真空管ではなく半導体チップによる集積回路がベースになっていて、二進法が基礎で研究が進められていたはずだ。いろんな話を聞いた結果、ごちゃまぜに記憶されていたのだと思う。

その後、1970年代初頭、大学時代に自分は商学部に進んだものの理工学部主催のCOBOL演習(プログラミング言語)を受講したり、社会人になってからNECのPC-9800シリーズパソコンやアップルのMacintoshを買って楽しんだ。仕事先でもIBMの5550シリーズや表計算ソフトのLotus1-2-3、日本語ワープロの一太郎などに親しんだり、電話カプラーを使ってパソコン通信をしたことも、つい昨日のことのように思い出す。プログラミングするときは一字一句でも間違えると全く動かないので、その都度、機械と対話している気がしていた。

自分の知識も、ウィンドウズ95が発売されたころまでは、ある程度最前線に追いついていたと思うが、そこから先は戦線離脱している。いまは、ノートパソコンやデスクトップパソコンは良く使うものの、携帯電話・スマホの進歩・発展?には、人間に迎合し過ぎということで食傷気味であり、電話とメールの送受信にしか使っていない。

大袈裟に言うと、自分は20世紀末まではコンピュータの発展とともに生きてきたような実感はある。その原点はやはりあの二進法の話なのだろう。

因みに、十進法の64は2の6乗なので、二進法では7桁目に「1」が来て「1000000」と表す。何と美しい数字だろうか。64歳ではなく、「僕は1000000歳である」と表記しても間違いではないのだ。

ちなみに「8」は漢字の字体「八」から「末広がり」と言われ、下に行くほど広がりがあって縁起が良いとされている。中国でも幸せを呼ぶ数字として縁起が良く、国家予算の数字にも、企業の売上目標数字にも多用されている。また、横に倒すと∞(無限大)という記号にもなる。先ほどの計算のように、2乗して広がっていっても元の8に収束する不思議な数字なのである。

そういえば8は、もともと好きな数字だった。

さだまさし作詞作曲の歌謡曲『朝刊』のなかに「高田の背番号も、知らないくせに♪」という歌詞が出てくる。プロ野球でジャイアンツの黄金時代(1970年前後の9年間をⅤ9と呼ぶ)に活躍し、「壁際の魔術師」といわれたレフトの高田繁さんは僕の好きな選手だった。彼の背番号は8番であり、そのことを歌ったものだ。高田選手はプロ入団した年に新人王を受賞しているが、彼が退団した後、背番号8を引き継いだ原辰徳選手、そのあとの仁志敏久選手ともに新人王を獲得している。偶然かもしれないが、誠に運がいい背番号である。

さて、はじめに述べた「2乗して…出てきた答えを掛け算して…」という数字の計算の話題で、「6」も「7」も「9」も、やってみると最後の答えは「8」と同様に8になった。これも不思議なのだが、気になったのは最後の答えが0になる数字が圧倒的に多かったことである。それはなぜなのか、時間があるときに因果関係を考えてみることにしよう…。

もうじき電子計算機(コンピュータ)の先を行く、量子コンピュータという計算機が実用化されようとしている。物理量の最小単位、簡単に言うと物質を作っている最も小さな粒である「量子」が飛び回って計算してくれるものだ。

量子は不思議な性格を持ち、壁をすり抜けたり、瞬間移動することもある。いままでのコンピュータは情報を0と1の数字に置き換えて1文字ずつ処理してきたが、量子コンピュータは0と1を重ね合わせて並行処理するため飛躍的に処理スピードがあがる。おまけに消費電力も500分の1程度で済むという。

AIとともに量子コンピュータを手軽に使えて、目的が明確であって、有効なデータがそろっていれば、相当複雑な計算やデータ分析でも瞬時にやってくれそうだ。

いったいどんな時代がやってくるのか、楽しみである。(2018年3月30日)