第10回/<「メール」は「対話」より仕事の生産性が劣る>
先日、ある会社の委員会で、隣に座った取締役のYさんにこんなことを聞いてみた。
彼は委員会の最中にも何件もメールで送受信していた。
「そうやってメールを部下やいろんな人とやりとりしているけど、パソコン通信が一般的でなかった十数年前と今と比べて、自分自身の仕事の生産性はあがっていると思う?」
僕からの突然の質問に、彼は「う…む」と言ったまま腕組みをしてしまった。
続けて、僕はこんなことを彼に話した。
「いまの仕事のやり方って、メールや社内の連絡ツールで指示・命令したり、報告・相談したり、されたりしていることが多いよね。
そこで、言いたいのは、本当に考えてメールしているか、ってことなんだ。
その仕事の意義や目的、やり方、期限、そしてその仕事の影響度を真剣に考えもせずに、いままでの経験とか勘で条件反射的にメールをやり取りしているんじゃないのかなぁ…。
目の前の仕事を早く終わらせたい、あるいはメールが来たらすぐに返信しなくてはメールが溜まってしまう。
そんな些細なことだけを気にして急ぎ、本当の仕事の目的を見失ってはいないだろうか。」
普段から隣に座っている部下にもメールで指示し、部下からメールで進捗報告をもらう。
そして、その仕事に関連しそうな人々をCCに入れる。
そんな現状に慣れっこになってはいないか。
CCで入ってくるメールなんてほとんど見ない、という人が多いと聞く。
惰性で仕事をするのならやらないほうがよいと思う。
極端かもしれないけれど、たとえば火曜日と水曜日は社内の人同士のメールを禁止にして、実際に顔を見ながら会話してみる。
そして、仕事の意義と目的とやり方と期限と影響度を伝えてみる。
そのほうが、上司の気持ち・思い入れも含めて、より正確に伝わるし、部下に疑問があればその場で質疑応答して解消できるだろう。
上司に言われたやり方よりも部下が考えたやり方のほうが、成果があがるかもしれない。
よりよい解決方法は、対面の議論、つまり「対話」の中から生まれることが多いのだ。
メールは、遠隔地からのやり取りとか会議の議事録の確認などには有効だが、対話より生産性が劣ると思う。
前出のY取締役にもそう提案したら、「やってみます!」と元気な声が返ってきた。
完全にメール禁止にはできないかもしれないが、もう一度原点に戻って「その仕事の本質・目的」について考える良いキッカケになってくれればよい。
当未来経営塾では、僕は塾生にこんなことを良く話す。
「会社内には孤高の天才は不要で、普通の人々のチームワークがより重要であり、自分一人で考えるよりチームメンバーとの対話が何よりも仕事の成果を上げる。」
精神分析学の創始者であるフロイト、近代物理学の基礎を築いたアインシュタインでさえも、多くの研究者や協力者とのコラボがあったからこそ数々の業績をあげられたと言われている。
コラボの基礎は対話にある。
プラトンやソクラテスに問うこともないだろうが、やはりいつの時代でも顔を見ながらの対話が仕事の進捗にとって大事なことだと思う。